日記

 前日まで1週間休暇で、労働は疲れるな……と思いながらスマホを見たら母からのメールが届いていて、何の気なしに開いたらすい臓がん、肝臓転移、手術できないと書いてあった3月3日。展開はやすぎません!?
 とにかく帰宅後に電話をかけて、本人が思ったよりも落ち着いているのでさらにどうしていいかわからなくなりつつ、週末の新幹線を予約した。この時点では何が起こってるのかまだよくわからない感じで泣いたりはしてなかった。悲しいよりも困惑。翌日目が覚めた時に、昨日のことは夢だったのでは?と思ったけど、メールはしっかり残っている。
 週末がくるまでは、弟が「飯が食えない」とか言うのでそんなこと言ってる場合か(気持ちはわかるけど!)と腹を立てたりしていた。我々に今できることは健康でいることだけだろうがよと。私は逆にめちゃくちゃ腹が減る。
 前の日に「カメラ持ってきてね」というメールが来たので、これは遺影を撮らせる気まんまんだな!?と思い、1年くらい触ってなかったデジイチの電池を充電し、レンズをどうしようか悩み、SDカードが入ってないことに気づいて大焦りしたりした。カードは見つかった。よかった。レンズも迷ったけど50mmでよかったと思う。
 
 土曜の朝、いつも通りに新幹線に乗って、パンなどを齧っているとただの帰省のような気持ちになってきて妙な気持ち。まだこの時はいわゆる余命がどれくらいあるかも分からなかったし、母の状態も分からなかったので、GWは帰省して桜を見に行ったりできるのかなあとか考えていた気がする。
 久しぶりに会った父母は意外と普通な感じだった。普通に見えるだけなんだと思うけど。
 宿泊もできる地域温泉みたいなところに宿を取ってくれてたので、チェックインして夕飯の時間まで家族水入らずで話す。正直な話、母が先立ったら父も5年以内くらいに死ぬと思ってたので、実家の後始末など全部私がやることになるんだろうな……というプレッシャーがめちゃくちゃあったんですが、父もその辺自分でもそう思っていて、母といろんなこと(実家の処分など)話しててくれていたので、ちょっと安心した。さすが元役人だった。
 写真、かわいく撮れたと思う。データ送る用にCD-RかUSBメモリを買わねば。プリントして部屋にも飾りたい。
 金曜日に入院先の病院に行って検査した結果、やっぱりもう治療のしようがなくて、このまま食べられなければ1ヶ月、緩和ケアをして3ヶ月。半年はない。と言われたとのことで、絶句。そして月曜日から入院で、面会はできないので私と弟はおそらくこれが最後。なんかもう「そっかー……」以外に言葉がない。